link Contact Us        Contact Feedback        Subscribe Newsletter Subscribe        link Sitemap       
 
 

創始者

シュリ ブラバカール・ケシャーフ・サラデシュムク マハラジ

1920年11月25日に生まれた、シュリ ブラバカール・ケシャーフ・サラデシュム ク マハラジは、ソラプール地方のタドワルに育った。学校教育と並んで、彼は 尊父シュリ ケシャーフ・アヴァジ・サラデシュムク マハラジからアーユルヴ ェーダと古代インド音楽についての薫陶を受けた。彼の家系は、何代にも渡って ナデイ・パデイクシャと呼ばれるアーユルヴェーダにおける重要な診断方法をす ることでよく知られていた。

高校教育を受ける間に、彼の中に生来備わっていたスピリチュアルな人生への希 求が高まりグル(師)を探すために故郷を離れた。彼の師を求める旅は1943年プ ネにおいて、サドゥグル シュリ マリ マハラジに巡り会うことによって完了 した。シュリ マリ マハラジの若き信奉者は、1950年にマリ マハラジが聖な る肉体を離れるまでの間、完全に彼のスピリチュアルなエッセンスを吸収した。 その時から最後の息をひきとる瞬間までシュリ プラバカール・ケシャーフ・マ ハラジは彼の人生を人々を導き教えることに捧げた。

彼は古代インドの伝統的な師弟関係における、独特で輝かしい教育と学習法につ いて誇りとし、また熟達していた。彼はその一生を通じて、アーユルヴェーダ、 古代インド音楽、ヨーガ、ヴェーダ学、ナッツヤシャーストラ、哲学、心理学、 詩などの数々の分野において学生達を教え導き、それは電子工学などの現代科学 の分野にまで及んだ。彼の知識は彼が得ていた大学入学資格の本に書かれている 範囲をはるかに超えるものであった。彼は秀逸で霊的な黄金の輝きを帯びたやり かたで、大学院の研究過程にいる学生にさえ 実践的で容易な導きを与えていた。また彼はインドの国内外にいる彼の信奉者達 に対して人生の危機を乗り越え、彼等の人生が素晴らしく開花するように導きを 与えた。

彼はアーユルヴェーダの知識を長男である Dr,サダナンダ・サラデシュムク氏と 、長女Dr,スーダ・アクルジェカルに与えた。彼は次男のシュリ シェシカント  サラデシュムク氏と三男のDr、チャンドラカント・サラデシュムクに対して、そ れぞれアシュワウルヴェーダ(馬の科学)とインド古代音楽の訓練を施した。Dr 、チャンドラカント・サラデシュムク氏はパンデイット ラビ・シャンカールと アンナプルナ・デビィ夫人の弟子であり著明なシタリアとして知られている。彼 の妻Dr,プージャ氏もまた電子工学の博士号を持つマハラジの信奉者である

素朴で極度に謙遜な態度のため、シュリ P.K.サラデシュムク マハラジはスピ リチュアル パーソン、あるいは”シッダ プルシャ”(   )として認識さ れ、語られることは少なかった。彼は称賛を浴びることをよしとせず、喧伝から は遠ざかり、ただひたすら静かに1996年8月29日にその聖なる肉体を離れるまで自 分の仕事を続けた。

彼の卓越した無限大の知恵という宝物は、真実の知恵を探し求める者達に対して は24時間開かれていた。彼は、社会の再構築は若い世代によって成し遂げられ るものであり、それが古代インドの輝かしい過去とリンクして次の世代へと受け 継がれることを願っていた。バラティヤ・サンスクリティ・ダルシャン財団はシ ュリ P. K.サラデシュムク マハラジの、この高貴な目的のために創立された。 彼はワゴリにある63エーカーの土地を財団に寄贈し、この土地をビシュワ・シ ャンテイ・ダーム(世界の平和の中心地)と名付けた。財団はまさに彼の願いと 目的に沿って活動を行っている。当然のことながら、インドの古代科学や芸術の 研究、実践、普及が財団の主活動領域となっている。その多岐に渡る活動がまも なくあらわになるだろう。知恵と平和と幸福が、ワゴリのビシュワ・シャンテイ ・ダームの聖地から人類の住む最果ての地に至るまで広がっていくことだろう。

”仕事は困難だ。しかし、必ずや適切な時に自我のない魂が現れて、適切に役目 を果たし、仕事を完成していってくれるだろう”...彼はよくこう言ったものだ。 それが彼のビジョンでもあったのだから。